やりたい仕事がない!そんな時に出会った介護という仕事

やりたい仕事がない!そんな時に出会った介護という仕事

やりたい仕事がない

保育園や幼稚園に通っている頃は「お花屋さんになりたい!」とか「宇宙飛行士になる!」とか夢はたくさんあったのではないかと思います。

 

しかし、年齢を重ねるうちにいろいろなことが見えてきて「この仕事は難しい資格を取らなきゃいけないから自分には無理だ」などと知らず知らずのうちに制限をかけていることもあるかと思います。

 

そんなことを考えているうちにやりたい仕事が何かわからなくなりますよね。

 

または、やりたいことすら全くないという人もいることでしょう。

 

そんなあなたに知ってもらいたい、私がやりたい仕事に出会ってから働くまでの話をしたいと思います。

 

出会いは中学の時

中学の時、職場体験で何気なく選んだ介護施設への体験。とくにやりたいこともなく、自分の祖父母や近所の高齢者の方が好きだという理由だけでした。

 

体験へ行くと、高齢者の方の数だけ10人十色でいろいろな性格や経験歴の方がいて、戦争中の話を聞いたり、結婚当時の見合いの話を聞いたり、歌を歌ったりとても楽しく自分がイキイキできました。職員さん同士も仲が良く、声をかけあってチームワーク良く仕事をされているように見え、憧れました。

 

そこからしばらくして、父方の祖母が認知症になり、ある日突然高熱を出し、亡くなってしまいました。ちょうど、母の誕生日でした。

 

祖父はとても落ち込み、こもりがちになり、いままで祖母に何もできなかった…と、とても後悔していたように見えました。父も目に涙をいっぱい溜めて悲しみました。

 

「はやすぎる…。なんで自分の母親が…。まだ70歳にもなっとらんのやぞ…。」

 

私自身も祖母に対してもっと何かできたのではないかと自分の無力さにとても落ち込みました。家の中から笑顔が消えました。

 

 

そこから、人の最期にかかわり、その人の人生がいままでどんなふうでも、ここで最期を迎えられて良かった、幸せだったと思ってもらえるような介護士になりたいと決意しました。また、自分の親が将来要介護状態になっても介護について学んでおけば役に立つとも考えるようになりました。

 

夢を追い…。

高校は福祉科のある学校に進み、同じ夢を持った同級生と競い合い、時には楽しみながら授業を受けました。断然、座って学ぶより、実際にベットや機械浴を使って行う実技の授業のほうが好きでした。

 

介護の教科書は一冊一冊がとにかく分厚く重たいため、移動が大変でした。座学のテストは、毎回文章を丸暗記しないと点数が取れないような鬼のテストでした。

 

かわりに、数学はTとAまでしか授業がなかったのでサイン コサイン タンジェントくらいまでしかわかりません。(笑)そしていまは、もうそれすらわかりません。(笑)

 

実技では、シーツ交換をだれがいちばん丁寧に早く行えるかの練習、機械浴の使い方や洗い方、着物や洋服の着脱介助の練習、排泄のお手伝い、麻痺のある方の歩行のお手伝い、いろいろな方に合わせた安全安楽な移乗の仕方…学ぶことが山のようにありました。

 

在学中にヘルパー二級(現在でいう、介護職員初任者研修のことです)を取得し、(特定施設入居者生活介護)ケアハウスに就職しました。

 

ここでやっとスタートに立てました!!

 

ちなみに…特例高校だったため、実務経験9ヶ月で介護福祉士の受験資格が与えられました。試験日が近くなったころ、一緒に働いていたスタッフさんたちに合格祈願の鉛筆やキットカットをもらったことは今でも忘れません。

 

当日は母に送迎をしてもらいましたが、試験場は本当にたくさんの受験者がいて圧倒されました。答案用紙にはもちろん、もらった鉛筆で書きました。

 

そして、ドキドキしながら合格発表の日を待ちました。ポストで届く通知よりも早く知りたくて、合否公開の日にインターネットで結果を見ました。

 

 

…結果は……合格!!!

 

 

その時はちょうど母が横にいたので抱きつきました。

 

 

介護は”3K”(汚い、きつい、危険)とも言われる労働条件の厳しい職種と言われているかもしれません。しかし、介護を必要とされている方たちが介護を通じていきがいをみつけたり「今日もあなたのおかげで元気にすごせるわ」と言われたりすることにやりがいを感じられると思います。そうすると、「こういうふうにすればもっと安楽に移乗できるかな」などと考えることができ、自分の介護技術が高まり、自分自身も成長できると思います。

 

将来の進路で迷われている方は、介護も選択肢にいれてみてはどうでしょうか。

 

きっかけが何であれ、あなたが「やりたい!」という仕事に出会えますように。